「知恵の初め」

知恵の初め190506

「主を畏(おそ)れることは知恵の初め。」(箴言1:7)

  

 人は、いろいろなものを恐れながら生きているのではないでしょうか。他の人々のことを恐れることもあります。あるいは、自分ではどうにもならないことを恐れることもあれば、どうしても向き合わなければならない事柄の数々を恐れます。それだけではなく、いろいろと思いめぐらして未来を恐れることもあります。その対象や理由が何であれ、そのような恐怖は、人の歩みを混乱させます。「人は恐怖の罠にかかる」と、聖書は教えます。(箴言29:25)

 しかし、「主を畏(おそ)れることは知恵の初め」です。主なる神を正しく知って、神を正しくおそれることに、様々な恐怖から逃れる道があります。

 神をおそれると聞くと、神の厳しい裁きや怒りを想って、びくびくと恐怖することかと誤解する人もいるかもしれません。そのような恐怖は、神を正しく恐れることとは違います。聖書に登場する最初の人であるアダムとエバは、神のことがわからなくなったときに、そのような恐怖に取りつかれました。神の足音を聞いただけで、恐ろしくなり、隠れた、とあります。(創世記3:8~10)

 神を正しく畏(おそ)れるとは、神と共に生きることであり、歩むことです。様々な恐れにとりつかれて、身動きできなくなることもあるかもしれません。しかし、そのようなとき、改めてこの言葉を思い起こしていただきたいと思います。「主を畏れることは知恵の初め」です。

 聖書の言葉に触れて、どのようなときにも、共に歩んでくださる神を知っていただきたいと思います。