「信仰の試練」

『信仰の試練』
 「わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。」(ヤコブ1:2)
 
 試練を喜ぶとはどういうことでしょうか。
 ただ苦しむだけ、ただ悩むだけなら、それは「試練」ではありません。とにかく、そこから楽になりたいと思ったり、あきらめたりするしかありません。しかし、苦しみや悩みを「試練」と思うのは、それを通して何かが得られるとか、どこかへ到達するのだという希望があるときだけです。そういう意味で、「試練」に出会うのは、苦しみや悩みの中にのみこまれてしまわずに、生きている証でもあります。
 しかし、誰がそんな希望を見ることができるでしょうか。こう約束されています。「あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。」(ヤコブ1:5)神に祈り、神から教え導いていただきながら、今の苦しみや悩みの先に見るべきものを見ていきます。そして、その希望を実現してくださる神を信頼して、一歩一歩、一日一日と進んで行きます。
 神から教え導かれて、見ている希望ならば、決してむなしく終わることはありません。また、神から教え導かれているなら、その希望は、現在の苦しみや悩みをのみこんで、それらを小さなものとするほどに大きなものとなっていくでしょう。
「わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。」