「主を正しくおそれる」

『主を正しくおそれる』 
 「主を畏れることは知恵の初め。」(箴言1:7)
 神を畏れると聞くと、まず思い浮かべるのは、神の厳しい裁きのことではないでしょうか。とても近づきがたい神であるように思ってしまいます。確かに、神は最終の裁きをなさる御方です。誰もその裁きから逃れることはできません。しかし、聖書は、その裁きにびくびくしながら生きることを教えません。むしろ、そのような恐怖は、神を正しくおそれることを見失った人々の心に生じるものです。聖書に登場する最初の人であるアダムとエバは、神様のことがわからなくなったときに、そのような恐怖に取りつかれました。神の足音を聞いただけで、恐ろしくなり、隠れた、とあります。(創世記3:8~10)これは正しいおそれではありません。
 むしろ、神を正しくおそれるとは、神のゆるしとお導きを信じて、神へと近づくことです。私たちが近づく前に、神は、誰にも考えられないほどにご自身を低くして、私たちに近づいてくださいました。キリストは、人の心の外に立っておられます。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。」そして、「わたしの声を聞いて戸を開ける者があれば・・・」と静かに声をかけ続けてくださいます。(黙示録3:20)キリストは、戸一枚のところまで、来てくださいました。そして今日も声をかけ続けて、正しく神をおそれることを教えてくださいます。足音を聞いただけで隠れてしまったアダムとエバのような恐れではなく、心の戸を開けて、主の御前に喜びつつひれ伏すおそれです。
 「主を畏れることは知恵の初め。」(箴言1:7)