「なぜうなだれるのか」

「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ、なぜ呻くのか。

神を待ち望め。」(詩編42:6)


 「今日も一日、頑張ろう」と意欲や期待を抱いて、一日を歩み出す。そして、夜には「今日も一日良い日だったな」とひと息ついて、ぐっすりと眠りにつく。そんな単純な生活を送っている人がいたら、その人の境遇に関係なく、幸せな顔をしているのではないでしょうか。

 しかし、そうもいかないのが、私たちの現実です。大小さまざまなことで、うなだれることも避けられません。小さなことで心をくじかれるかと思えば、自分の力に余る大きなことに向き合って、うなだれます。何が、わたしたちの心をうなだれさせる理由や原因になるか、必ずしもわかりません。その意味で、うなだれることは、罠にかかるのに似ています。その罠にかかるとき、力を奪われて、何もできなくなってしまうことさえあるかもしれません。

 神を信じるこの人も、うなだれて身動きがとれなくなりました。そのとき、彼は自分の魂にこう問いかけます。「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ」 自分で自分を叱咤激励して、頑張ろうとしているのではありません。自分自身としては、この落胆や気落ちした思いを跳ねのける力も知恵もありません。しかし、だからこそ、改めて問いかけています。自分ではどうにもならなくても、神がおられるではないか。「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ、なぜ呻くのか。神を待ち望め。」

 状況や自分の有様に向けていた目を、神に注ぎました。彼を罠のようにとらえていた思いから、脱け出し始めています。


「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ、なぜ呻くのか。神を待ち望め。」

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