「わたしは知っている」


「あなたに背いたことをわたしは知っています。」(詩編51:5)

 このように告白しているのは、聖書に登場するダビデという王です。彼は、自分の忠実な部下を厳しい戦いの場に向かわせて殺し、その妻を奪いました。王としての力を用いて、すべてのことを行いました。巧妙に、その罪は人々には隠されていました。

 それから一年ほど後、神がダビデのもとに預言者を遣わしました。預言者は、ある裕福な男の話をしました。自分のところへ来た客をもてなすために、隣に住む貧しい男が大切にしていた一匹の羊を奪って、ご馳走を整えた男の話です。それを聞いたダビデ王は、その裕福な男に怒って、こう言い出しました。「そんなことをした男は死罪だ。・・・そんな無慈悲なことをしたのだから。」預言者は、ダビデに向かってこう言いました。「その男はあなただ。」(サムエル下12:7)


 ダビデは目を覚ました者のように、一人、神に祈り始めました。「あなたに背いたことをわたしは知っています。」神に向き合って生きる者として、知るべきことでした。自分の罪に向き合うのは、悲しいことです。しかし、その悲しみからの救いも、ただ神にあると知っています。彼は、神に向かってこう祈ります。

「神よ、わたしを憐れんでください・・・わたしの咎をことごとく洗い、罪から清めてください。」(51:3~4)「打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません。」(51:19)

 彼の罪は取り返しのつかないものでした。しかし、神は彼をそのままに受け入れて、取り扱うことのできる御方です。それゆえ、ダビデは神のふところに飛び込むようにして祈ります。「あなたに背いたことをわたしは知っています。」