千年を一日のように


愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。

主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。

                                  (第二ペトロ3:8)


 今日は、聖書が約束する救いを、人々がどのように信じたかについて、考えてみたいと思います。神を信じる人々は、千年を一日のように待ちました。聖書の約束は、そのように受け取られ、信じられ、喜ばれました。一般には、約束について、それがいつ実現するのかは重要な問題です。近々それが実現するとなれば、期待はいやでも高まります。しかし、ずっと先のことだとなれば、どうでもよいことのようになるかもしれません。

 しかし、聖書の約束は違います。神をほんとうに信じて、その言葉を受け取った人々は、いつ実現するかということを問題としませんでした。信仰から信仰へと進むとき、そのように導かれました。理由は単純です。全能の神が、何もできないことはない神が、ご自身の定めたとおりに、すべてのことを実現なさるからです。だから、神を信じる人々にとって、神の口から語られた喜ばしい約束の言葉は、それを聞いて信じた今日、喜ぶに十分な確かさを持っていました。

 神はこう言われます。

わたしの口から出るわたしの言葉も

 むなしくは、わたしのもとに戻らない。

 それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす。」

                            (イザヤ55:11)

 神がご自身の権威をもって定め、成し遂げられる救いです。千年を一日のように待ちながら、神の言葉に期待を託して、今日、喜びます。

愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。

主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。